トランスジェンダーとして生きて行く〜その1 大相撲土俵における女人禁制問題の報道を見ていて感じたこと

こんにちは。MtF当事者でSRSや戸籍(性別)変更済みのRinakoです。

  連日TVなどのメディアで、大相撲土俵における女人禁制の問題が議論を呼んでいるようです。
大相撲巡業中、救命措置のために女人禁制とされる土俵に上がった一般女性看護師に対して「土俵から降りるように」とのアナウンスや指示があった、というもの。

  主な論点は「神事としての伝統を保存するか否か」という点と「女性蔑視ではないか」という点のようです。他に「人命軽視はなかったか」とか「相撲協会の対応の不適切さ」等、なかなか厄介に絡んでいてニュースワイド番組の格好の材料になっているようですね。

もちろんこの議論について私なりの考えはありますけど、今はそれは置いておいて。。

一連の報道を見ながら漠然とこんなヒネくれた?ことを考えました。

[talk name=”Rinako”]
もし、土俵に駆けつけた女性看護師が「降りなさい」と言われて「いえ、私はトランスジェンダーであり戸籍上は男です」と答えたら、事態はどんな展開を見せていたでしょう。。
衆人の誰から見ても女性に見えたらアウトでしょうか。いかにもオジさんの女装ならセーフでしょうか。そもそも大相撲のしきたりは民法にもいずれの条例にも定められてはいないので戸籍上の云々は無効でしょうか。さすれば身体的な。。。。[/talk]

 

もっともTVで議論している多くの知識人の中の誰一人としてこんな戯言を言い出す人はありません。
当たり前ですが大前提として「男」と「女」という二極化された概念の上に成り立っている問題を議論しているわけですから。

「男の格好をした女」とか「女の格好をした男」とか、ましてや「中性的な〜」なんて発想は微塵もありません。
この大前提、おそらくはTVの知識人たちやほとんどの視聴者にとっても特に違和感のあるものではないでしょう。
そしてこれは大相撲の問題だから特別、ということではないようです。

ごく普通の社会においても「性は二極化されているもの」という概念がごく当たり前なことであるように思えます。

とはいえ、LGBTのようなセクマイ問題がひとたび議題に上がれば、先ほどの知識人の方々は別人のように有りえない問題についても実に真面目に論議を交わします。ただし腫れ物を触るように慎重にです。

LGBについてはほぼ倫理の問題であり徐々に寛容的な扱いを得つつあるように思いますが、厄介なのはTで、やはり一般的な感覚ではGIDに異性装愛好者が加わり、さらに類似したイメージのISや果てはXジェンダーまでがごっちゃになってくると、医学的な観点から犯罪を含めた視点まで、もうまともな論議にはならないように思われます。

見ている視聴者の多くにしても、まるで遠い異国の地のお話しを聞いているように現実感のないこととして受けとめているのではないでしょうか。
そしてさして盛り上がることもなく、番組が終われば皆いつもの二極的な「男と女」の世界に帰っていくのでしょう。

 

この違いの理由は明白ですよね。

「女人禁制〜」の問題では議論している人や視聴者のほとんどが「男・女」どちらかの当事者ですから議論も白熱するのに対して、セクマイの問題ではほとんどの人が当事者ではないのですから、客間的な論議に終始するのも無理もありません。

こんなふうに圧倒的多数の人が社会の中で二極的な男と女であり、それが普通の感覚なのです。

  さらにセクマイの問題では理屈を抜きにして嫌悪感をあらわにする人が少なからずいることも経験上見てきましたが、これも自然の摂理としての「雄と雌」という二極的な概念からかけ離れていることが生理的に不快極まりないからでしょうか。

  やはり大多数の普通の人において「男」と「女」をイメージした時に、その間に双方向の矢印であるとかグラデーションをイメージしたりなんてことは本質的に有りえないのではないかと感じるんです。

  そんな風に考えると、レインボーフラッグに象徴される尊厳と権利を主張する運動なども、所詮は空論で終わってしまいかねません。

ただ人間社会には文化という便利な枠があり「まあこんな人たちがいてもイイか」くらいの寛容的な感覚が、時間をかけてでも常識という形で定着してくれることを望むばかりです。

 

[talk name=”Rinako”]ちょっと内容が暴走気味な感じになってますので、ここで私自身のことに置き換えてみます。[/talk]

私がSRSを受けることを選択したのには大きく2つの理由があって、ひとつは長い間自分を縛ってきた「ねじれ」と決別したいという自分自身の気持ちがとても強かったこと、もうひとつは、先に書いたような社会の中の性が結局は二極的でしかないのではという感覚がずっとあって、やはりどちらか自分に自然な極に寄せるしかないという思いがあったからです。

しかしもし社会の中で楽に生きたいと思う気持ちの方が強かったら、SRSを受けることはなかったかもしれません。実際、パス度が高く埋没もうまく進んでいる人に比べたら私は頑張ってもせいぜい「ゴツいオバさん」止まりですから、今後かなりの難儀が待ち構えているだろうことは女装での生活の頃から覚悟していました。

そしてSRSを受け戸籍上の性別も名も変更し、諸々の名義変更も全て完了した今、お仕事も含めて大きく環境も変わります。
正直この先どんな道が待っているのか見当もつきません。
ただ私は天性の楽天家なのかもしれませんけど、半ばそれを楽しみにしている自分もいるみたいなのです。

[talk name=”Rinako”]望むらくは、もし土俵に上がることがあったら間髪入れず叱責される自分であるよう努力したいと思います(笑)。
あとは唯一、もっと若かったら恋愛も夢見ることができたかもと思うと少しだけ残念な気持ちもあるのですけど。。[/talk]

さてさて、私と同じGID当事者の皆さんは、今後この社会の中でどんな生き方をイメージしているのでしょうか。

 

タイSRSガイドセンターより一言コメント

[talk name=”Take”]トランスジェンダーに関わる一般の方の印象や知識は一朝一夕に変わらないし、白黒つける問題でもないのでしょう。
トランスジェンダーの方も年齢や個人差もあり、各自が置かれている環境もかなり差があります。
自分の信じる道をひたすら歩いて行くのが王道かもしれません。[/talk]

この記事を書いた人

Rinako
Rinako
還暦を目前にして念願のSRSを果たしたMTFのRinakoです。
私にとってSRSは決して人生の目標地点ではありませんでしたけど、半世紀超えの年月を振り返っても最大級の節目のひとつと感じています。それゆえSRSまでの道のりはそう簡単なものではなかったですし、経験してみて初めて分かったこともたくさんありました。
これからGIDの治療やSRSに向けての準備を考えている方、特に私のようなシニアともいうべき世代の当事者の方々に、私の経験が何かしら参考になればという思いを胸に抱きつつ、おばさんライフを謳歌できることの喜びに日々感謝する毎日です。

お気軽にコメントや感想をどうぞ ↓

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

PAGE TOP