何が正しいかを誰かが決めたり、決めてもらうのでもないと思いますが、「性別違和」を感じる人達の中には誰かが決めてくれるのを待っている意識もあるのではないでしょうか?
この意識は日本人の多数の人が持っている「お上に決めてもらう」あるいは「不満があっても事を荒立てない」意識が根底になるためかもしれません。
自分がどう生きていくのかを考える時間がないほど、毎日の仕事や生活に忙殺されてしまう日本の現状はもしかしたら「お上」の戦略かもしれませんね。
試験では答えは一つの場合がほとんどですが、人生に一つの正解は無いようです。
とにかく考えない事には何も始まらないと私(横須賀)は思うのです。そして考えた後は行動できるともっと良いでしょう。
「Facebook」から転載しました。
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