SRS体験談募集
SRS体験談募集

お問い合わせはこちら!40日間のタイ滞在での手術の経験を紹介しています。FFSや声女性化、SRSなど、すて受けた私の体験をお楽ください!😊

へ第二回目の渡航:40日間
・FFS – スポーン・クリニックにて
– ヨーサガン・クリニックにて

2010年6月、私は再び訪問を決意しました。このとき実施しようと考えた手術は、FFS、、そしてSRS、すなわち、行き着くところまで行き着いたのです。「やるなら全部やる。逃げ道は残さない」これが私の出した結論でした。

依頼先はもちろん5年前にお世話になったジェイ・ウェッブ・クリエーションで迷いはありませんでした。ネットでジェイ・ウェッブ・クリエーションを検索すると、以前と比べずい分ホームページがにぎやかになっているのに驚きました。飛行機のチケットも自分で手配する必要がないとのことでした。

へ降り立ち、指定の場所で待っていると、スタッフの山元さんが来てくれました。彼の車で事務所へ向かうと、そこは以前の高層マンションの一室とは違い、いかにもオフィースらしい明るい雰囲気の事務所でした。横須賀さんとは5年ぶりの再会でした。送迎から病院への見舞いまですべて一人でこなしていた彼も、今やしっかり社長業に専念しているようでした。翌日、を取りました。

最初の手術であるFFSを受けるためスポーン・クリニックへ向かいました。麻酔の女医と打ち合わせた後、スポーン医師との面談に入りました。面談中、医師は私の顔を真剣に見つめながら、「眉骨が高くないのでラッキーだ。鼻はいじらなくていい。顎は大きいと思うか」などといって、どこをどうするか分析しているようでした。

最後に、「術後しばらくは顔が腫れる。引き上げた眉が本来あるべきところに落ち着くには6ヶ月かかる。顔の手術は場合によって大きなストレスを生じさせ、『理想と違う』と悲観して自殺する人もいる。だから6ヶ月は鏡を見るな。6ヶ月過ぎた頃からあなたの顔があなたのものになる」などといわれました。手術時間は7時間ということでした。
同伴していた山元さんが、「この部屋の窓が閉めてあるのは、あなたが飛び降り自殺しないようにですよ」と、しゃれにならない冗談をいいました。FFSをスポーン・クリニックでするお客は、ジェイ・ウェッブ・クリエーション開業以来私が初めてとのことでした。正にまな板の鯉でした。

手術室に運ばれ、麻酔の女医から「エキサイティング?」と笑顔で問いかけられました。間もなく、あのスポーン医師が真剣な表情でこちらに歩いてくるのが見えました。と、その後の記憶がありません。一瞬にして意識を失ったようです。
山元さんの「ゆっくり大きく息をしてください」という声でやっと意識が戻りました。どうやら麻酔に酔ってしまったようで、鼻には酸素吸入のためのチューブが差し込まれていました。とにかく体は冷え、呼吸は浅く、酸素濃度を量る器具がやたらとピーピー警告音を鳴らしていました。

医師から鏡を見るなといわれていたのですがどうしても見たくなり、山元さんに頼んで鏡を覗き込みました。するとまるでエジプトのミイラのように包帯にくるまれた自分の顔がありました。目元と鼻だけが見えました。「子供の顔みたいですね」と私がいうと、山元さんは「そうですね。でもあまり見ないほうがいいですよ」と忠告してくれました。

夕方、ジップさんと名のる若い女性が来て、「今晩あなたの見張りをします。何かあったら用事を言いつけてください」といって、壁際の椅子に座り、じっと私を見守っていました。私がエアコンを切って欲しいと依頼していたので、彼女にとって部屋はとても暑かったはずです。しかし彼女は一晩中一睡もせずに私の様子を窺っていました。
後で山元さんに、「なぜ私は一晩中見張られていたのですか」と聞いたら、彼は「全身麻酔をかけた患者は、最初の夜が一番危険なんですよ。そのためです」と答えてくれました。どうやら病院側も私の容態を気にかけていたようです。

エーカション病院の食事が口に合いませんでした。麻酔のダメージもあって食欲も出ませんでした。体力回復には食べることが一番と分かっていたのですが、スープの臭いを嗅いだだけで気持が悪くなりました。5年前の術のイメージから、手術を軽く考えていた私は、以後の日程に少し自信をなくしました。
退院後、横須賀さんの事務所にあるビジタールームでお世話になりました。横須賀さんの奥さんエーオさんと義妹ペーオさんが毎日食事の世話をしてくれました。スポーンでの食事に比べ生きた心地がしました。しかし体調はまだ悪く、口、額、目元、眉間と、執刀した箇所から次々と発熱し、体力も落ちて足が折れそうなくらい細くなりました。

体力アップのため事務所の周りを散歩しました。最初は10メートル歩いただけで冷や汗が出てよろめきました。元来丈夫な私にとって、こんな経験は初めてでした。SRSまで1ヶ月を切っていたこともあり、一度帰国して体力回復を待つことを横須賀さんに申し出て許可してもらいました。
ただ、せっかくビザを取ってきたので、だけはしていくことにしました。
夕食のとき、横須賀さんとよく話をしました。彼は日本での苦労話をときおり聞かせてくれました。

顔の腫れも少し落ち着いてきた頃、「ずい分イメージ変わりましたよ。スポーン先生はやることが半端じゃなくて徹底していますから。他の医師ならそんなに変わりませんよ」と横須賀さんからいわれました。
山元さんも、「あの先生、自分の好みに合わせて顔を作っているんじゃないですか」と面白いことをいいました。

ところで、横須賀さんが私を覚えていないことに驚きました。彼が「今度のお客さんは睾丸を取ってあるんだ、と思いました」と妙なことをいったので、私が「そのときしたのはあなたですよね」というと、「え、そうでしたっけ」と慌てて昔の顧客を検索し、私の写真を探し始めたのです。そして「これは分かりませんよ。今とぜんぜん違います。へー、ホルモンで人の顔ってこんなに変わるものなんだ」と妙に感心していると、山元さんもその写真を見て、「確かに。ぜんぜん面影ありません」といいました。その写真は私のパスポートの写真でした。

少しずつ体力も回復し、長距離を歩けるようになりました。SRSも今回はキャンセルしたことで、気も楽になっていました。
ときどきエーオさんとペーオさんが買い物に誘ってくれました。ラーマ9世公園へウォーキングにも一緒に行きました。
スポーンクリニックへフォローアップに行くとき、二重まぶたにした糸が目立ち、恥ずかしかくてサングラスをかけて行きました。それを見た横須賀さんが、「タイではそういうのは隠さず見せびらかすのです。『自分は手術できるお金があるぞ』と自慢するためにね」といわれたので、私もなるほどと思いました。

近所にイスラムの寺院があり、興味本位で近づいてみました。すると突然イスラム服を着た男性に、「何をしてる」と声をかけられました。さらに男性は「お前はイスラム教徒か」と聞いてきたので、「私は日本から来て近くに宿を借りているものです。寺院に興味を持ちまして、ただ見ていただけです」と答えると、「よし、中へ入って良い」と入場を許可してくれました。私は生まれて始めてモスクの中へ入ってみました。

声の女性化の手術を著名なヨーサガン医師から受けました。
手術に先立ち、先ずエッセーを朗読させられ、その声を録音されました。次に歌を歌えといわれたので、私はドレミの歌を歌いました。それから麻酔を口に含んで喉の奥を麻痺させ、ファイバースコープのようなカメラを飲まされて、そのまま声を出させられました。声帯の振動を確認するということでした。
手術後、心配した麻酔による後遺症はありませんでした。術後2週間は話すことが出来ないということで、スタッフや看護婦とは筆談になりました。
話が出来ないということが、これほどもどかしいと私は思いませんでした。
声がどうなるか不安はありましたが、ともかく喉仏を取ることでは意味がありました。約40日間のタイ滞在後、私は日本へ一時帰国しました。

帰国後、しばらくして声を出してみましたが、声になりませんでした。というより、喉頭がんを患った人が、喉の奥から絞り出すような太いがらがら声でした。
術後2ヶ月くらいは相手から「え、なに」とよく聞き返されましたが、3ヶ月ほどで会話に支障がなくなりました。
しかしまだ声は太くかすれ、しかも毎日のように音質が変わりました。低い声といえ、それはもはや手術前のオリジナルの声ではありませんでした。落ち着くのに1年はかかるといわれました。

横須賀さんが面談会を開催するため日本を訪れました。
その間エーオさんが私のマンションに遊びに来て5日ほど泊まりました。彼女は私のマンションでも暇さえあれば帳簿付けをしていたので、「仕事?」と聞くと、「私、忙しくしていたほうが好きなの」と答えました。体力も回復してきた私は、彼女を観光案内して差し上げました。

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1コメント

  1. 私は2006年11月29日にここを見つけて、最初は睾丸摘出だけで考えていたのですが、24時間しないうちにSRSまで申し込んでしまいました
    でも、叶わずという汚名を背負い込むことと相成りました
    もう、不可能であるという状況でしたが、2008年5月23日、から26日で、形勢逆転、2008年6月10日に僅か558日という時間で為し得ました
    時空を越えて…

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