私のタイ国の三度の手術体験記~完全女性化手術への道程~その1

タイへ第一回目渡航:7日間
・睾丸摘出 – ピチェート整形外科センターにて

私が初めてジェイ・ウェッブ・クリエーションを利用したのは今から6年前の2005年8月、ふとしたきっかけで、「タイで睾丸摘出パック」なるものをネットで見つけ、申し込んだのが最初でした。
なぜそんなものに申し込んだかを説明したら、一冊の本が出来てしまうのでここでは語りません。まあ、簡単に言えば人生に魔が差したということでしょう。そのころ仕事を持っていた私は、夏休みを利用してタイへ行くことにしました。「バカンスに行くので」という理由で旅行会社に依頼し、ANAのチケットを予約したのです。

当時のタイ空港はターミナルが二つに分かれていました。ANAが着くのは第2ターミナルでした。予定時間よりやや遅れてバンコクに着いた私は、迷いながらもターミナルの外へ出ることができました。スーツケースを引きずって歩いて行くと、約束の場所に横須賀さんが待っていました。彼は紳士的な態度で私からスーツケースを受け取ると、駐車場まで案内してくれました。

駐車場には一台の車が待っていて、運転席に若いタイ人女性が座っていました。車内で世間話をしながら宿泊先のレジデンスへ向かう途中、横須賀さんは大きな建物を指差し、「あれが手術をする病院です。手術は全身麻酔で行います」と教えてくれました。部分麻酔だと思っていた私は、全身麻酔と聞いて少し驚きました。

翌日クリニックに連れて行かれました。なにやら雑然とした理髪店のようでした。医師の名はピシェートといって、スポーツマンらしいハンサムな医師でした。元パイロットをしていたということです。
クリニックでは、手術に関する同意書に、手が疲れるほどなんどもサインをさせられました。サインが終わると横須賀さんから、「これから病院へ向かいます。そこで先生から『なぜ睾丸を摘出するのですか』という質問を受けます」といわれました。

私が「どう答えればいいのですか」と問い返すと、彼は、「いろんな理由があるでしょうが、一番良い回答は、『将来性転換をしますので、その前段階として睾丸を取ります』という回答です。以前ご夫婦で来られたお客さんが、『性欲をなくすため』というような回答をされ、手術が出来なかったことがありました」と教えてくれました。さらに、「本当に性転換したかどうかなんて追跡しませんから」と、彼は言葉を添えました。

手術は午後2時半ということでした。病院に移動した私は、医師との面談に呼ばれて個室に入りました。横須賀氏とタイ人女性がそこに同伴しました。タイ人女性は、手にビデオカメラを持って、質問に答える私を録画し始めました。どうやら証拠物件にするようでした。

「なぜ睾丸を摘出するのか」と質問され、私はかねてから打ち合わせ通り「将来の性転換に備えて」と答えました。すると医師は笑顔を作り、「OK」といって握手をしてくれました。私はホッとした反面、嘘でもカメラの前で「性転換をします」といった自分をはずかしく思いました。性転換など全く考えていなかったからです。

手術に入る前、横須賀さんから「背中に麻酔注射を打ちますが決して痛くありません。ただ動くと危険なので動かないようにしてください」と念を押されました。私が不安そうに見えたのか「もう、ここまで来たのですから」と、覚悟を決めろといわんばかりの言葉を、彼はさりげなくかけてくれました。

麻酔の医師が来て、ベッドで横向きになった私の背骨にゆっくりと注射針を差し込みました。私は緊張しないよう深呼吸を繰り返しました。麻酔が無事終わると手術室へ移動させられ、そこで待っていた数人の看護婦に足をつねられて、日本語で「痛い?」と聞かれました。私は答えようとしたのですが、そのとき、す~っと意識を失いました。

覚醒すると、そこはまだ手術室の中でした。カチャカチャと手術道具を片付けているような音が聞こえたので、「フィニッシュ?」と英語で聞くと、「イエス」と看護婦が答えました。しばらくして病室に運ばれましたが、麻酔のせいか、腰の辺りを触れても感覚がなく、なにか物に触れているようでした。ペニスは包帯で覆われ、カテーテルが差し込まれていました。痛みはありませんでした。
最初の食事の際、一人で起き上がろうとしたのですが、下半身に力が入らず上手くいきませんでした。すると「オーノー」と看護婦が心配そうに近づいてきて、私の体を支えてくれました。そして優しくスプーンで食事を食べさせてくれました。夜、横須賀さんがお見舞いに来てくれました。

翌日、目玉焼き二つだけの朝食を取りました。カテーテルも抜かれ一息ついたので、椅子に座ってバンコクの景色を眺めていたら、横須賀さんが迎えに来てくれました。私は預けてあった現金を受け取り、金額を確認してサインしました。

横須賀さんから「そこに摘出した睾丸がありますが、持って帰りますか?それとも捨ててもらいますか?」と聞かれたので、私は迷わず「捨ててください」と答えました。以前ニューハーフを扱ったテレビ番組で、“睾丸を大事に持っているニューハーフの子は幸せになれない”などといっているのを思い出したからです。

退院から帰国まで、私はタイ観光に明け暮れました。スカイトレインに乗ってルンピニーパークへ行き、さらに地下鉄に乗り換えてチャトチャックパークまで行きました。翌日にはクイーンシリキットナショナルユニバーサルセンターまで行ってみました。術後であることなど気にせず、ずい分な距離を歩いて回りました。

公園では、トイレに入るのにお金がかかるのに驚き、また、バザールに体の不自由な物乞いがいるのにも驚かされました。レストランでは水を頼むとお金を取られました。タイでの数日は、正に私にとって現実離れした不思議な時間でした。

帰国の前、私は抜糸のため病院で医師のチェックを受けました。しかし困ったことに傷口がまだ開いたままで、抜糸は出来ないという診断でした。私は焦りました。レジデンスでおとなしく養生していれば良かったと、改めて歩き回ったことを後悔しました。

横須賀さんが、「そのうち糸は抜けてきます。でもどうしても心配だったら自分の体のことですから、日本の病院へ行ってください」とアドバイスしてくれました。しかし私は「日本の病院など行けない」と、そのとき心の中で思いました。

帰国の日、横須賀さんの事務所に立ち寄りました。事務所は高層マンションの33階の一室でした。数時間の雑談の後、私は女性ドライバーから空港まで送ってもらいました。
飛行機が離陸し、窓からバンコクの夜景が見えました。夜景は少しずつ遠くなり、やがて見えなくなりました。飛行機の中で、それまでのタイでの出来事が、まるで夢のように回想されました。

日本に着いた私は、何事もなかったように仕事に戻りました。タイで横須賀さんがいった通り、手術で縫い合わせた糸も自然に抜けてきました。変わったことといえば、マスターベーションをしなくなったこと、すなわち性欲が完全に途絶えたことでした。

ホルモンを服用し始め、脱毛エステなどに通い始めたのもこの頃でした。何気に始めたその行為が、後戻りできない道への序曲であることを、まだそのときは知るよしもありませんでした。
ホルモンの効果が現れると嬉しくなりました。ひとたびこの連鎖が始まると、それはまるで原子炉がメルトダウンを起こしたように制御不能になります。行き着くところまで止められないのです。
結果、私はこの5年後、再びタイを訪れることになります。もちろんSRSをするために。ビデオカメラの前で証言した嘘が、現実になったのです。           

この記事を書いた人

JWC横須賀
JWC横須賀
バンコク在住、(株)ジェイ・ウェッブ・クリエーション代表。1997年にバンコクへ移住し、現地工場長を経て2004年に会社設立。現在はバンコクで医療系の情報提供と起業支援を中心に活動中。日本国内で年に2回ほど個別相談会も開催しています。1952年生まれで茨城県水戸市出身、在タイ20年超

お問い合わせ(無料)フォーム

お気軽にコメントや感想をどうぞ ↓

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

PAGE TOP